Monday, January 29, 2018

分離発注方式という家の建て方

分離発注方式という家の建て方 
 

工務店やハウスメーカーに頼らずに 
家を建てる方法として分離発注があります 
家の性能をおとさず、インテリアに力をそそぐのは 
建築家の力量、それを価格を物流もデザインしながら 
家をつくります。 
売っているものならKAKAKUドットコムで選んで 
通販が安いに決まっています。それを 
応用して家つくりに生かします 
  
  開催日時 2018 年2月24(土 ) 2月25日  ) 
個別相談
  • 申し込み★お電話ください
  • 場所 T設計室一級建築士事務所
  • 住所 静岡市清水区神田町18-11
  • 電話 054-354-0182
  • 駐車場 あり

Friday, January 26, 2018

静岡 清水(しぞーか) 木組みの家 tsekkei.exblog.jp ブログトップ | ログイン 小さな家のつくり方

家を計画するとき、目一杯しきちに建てることは
よくあることです。建てないところは車の駐車スペースで
そこにもカーポートの屋根がかかっていて、物置など置くと
結果、緑もなくさびいしい風情です。

周りの建物に関係なくたてるので
大きなはきだしの窓は、できあがると
あーほかの家に囲われて、日差しは入らない
とか
南側道路に面している窓であれば
完成したあと除かれるのでブロック塀が
つくられて、ラジオ体操ぐらいできる幅はある庭だが
やはりブロック塀が高く、眺望も日差しもないままとなる

小さい家では、間取りで
部屋を6畳から8畳におおきくしても
たしかに二畳大きいのだが室内の壁は
90センチ幅の壁が二枚程度増えるだけなので
家具おけば、さほど変わらないもとの部屋と
さほどは変わらないことになる

間取りを、小さい家風に
家族のいる場所は確保しながら
作り替えてみると、庭が二畳でもできると
木が植わり、道路境ならかるい視線の制御ができて

隣の家境なら、眺望ができる庭ができる
適当に視線をコントロールすると
風も抜けやすく、室内から窓があけられれば
部屋は実際の部屋以上に拡張されたように
感じる。

周りの家の配置も、間取りに織り込むと
家は気持ちよい場所がたくさんできる
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Monday, January 22, 2018

●小さい家のつくりかた

家は若いところに作った時、シニアになっても暮らしていく
住まいになります。
小さい家ですが、居心地のいい場所をつくるとき
家族の気配が感じられ、個性をいかして暮らしていける場所になります
四季の移ろいが、感じられるように庭に向けて大きな窓もつけましょう
 駐車場だけでは、昼間もったいない空間です。
そんな小さいけれでも、デザインされた家は
アパート暮らしにない、充実感があります。

そんな家のつくりかたを、実例をふまえてお話します
1月27日(土)1月28日(日)
お時間はお電話にてご相談ください
場所 T設計室一級建築士事務所 
静岡市清水区神田町18-11

駐車上あり

ご連絡お電話054-354-0182

小学生の取材があるという・・将来の設計者に向けて

小学生の取材//

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昨年末に小学生の子供が
将来の仕事について考える授業があり
事務所で働きたいというお電話があり
ていねいにできないことを説明した

その後、年末に今度は同じかたが
小学生達がインタビューにきたい
との連絡があり
取材ならばということで、来週には取材に来るそうだ

建築設計者も希望するひとが少なくなり

静岡県ではは浜松に建築科がある大学があるが
どうも、みな給料待遇などでハウスメーカーに就職するようだ

近くの居酒屋でも高校生の孫がロボット工学と建築科を選択したとき
大学側が建築科の就職率が高いからと建築科を選択するそうだが
ハウスメーカーなのかなあ・・設計希望でも営業マンになっちゃうので
営業知識は必要なのでいいのだが、住宅以外の設計力などは
外注の設計者の家をうることになるので、設計力は上がらないので
設計者としては、若い人が建築家をめざしてくれるとうれしいが

その道程は決まったものがあるわけでなく、自分力が大きい仕事なのだと自分をみて思う

基本的に大工、左官のような職人と芸術家との違いは

人に依頼されて仕事をするのが職人で

自分の心の探究で仕事をするのが芸術家だと思う

建築家は人に依頼されることが必要なんだが、意匠心があり
街は家は建てものは、こうしたいという、、デザインしたい人であり
芸術家と職人の間に個人の資質でどちらかに触れている人達なんだろうと思う

一級建築士は国家試験の建築士は、当時法律を創設した
田中角栄さんを筆頭に20万人以上いるはずだ
(もちろん、若い番号の人はなくなったり現役ではいないのだが)
免許をもっていれば、建築家かというと、そうでもなく、
免許をもっていることと、商売とは別物で
それだけで。一生食えるという仕事ではないので
一級建築士の免許を
「取らなければ、気持ち悪く、取っても食えない、足についた米粒だと」揶揄(ゆや)する言葉もあるほどである

建築家を望むものは、フランスの20世紀の建築家、コルビジュエが若いとき
ギリシャなどをある、旅行で建築を勉強する
さらに、日本でも独学で建築を勉強した安藤忠雄さんも四回戦ボクサーから一転して
建築家をめざして、若い時代から海外での旅行で建築を勉強する

建築家をめざすひとは、割と海外での遊学はつきもので、私も若い時代に
オーストラリアと欧州を自分で働いた金で一年間旅行した

出会ったバックパッカーの若者からは
金の北米
女の南米
神秘のインド
何にもないのがヨーロッパだと説明されたが

かれらは、北米で皿洗いをして英語を覚え、ウエイターで金をかせぎ
遊ぶときは安い南米、当時はビートルズがインドでシタールを弾いていたときで
ローリングストーンズを見にロンドンもいったそうだが
北米はどこへいっても城と森どこでも一カ所いけば同じだよと
いわれた。

たしか、アアルトを見たくてフィンランドから入るが
税金が高く、当時すっていたタバコやビールは高く、夏でも曇天の日々は
静岡で育った自分にはあわず、どんどん南下してピレネーをこして
スペイン、ポルトガルのイベリア半島へ入ると、宿の酒も値段が安く
暖かくて住みやすく、マドリッドには一ヶ月近く住んでいた。
中東の匂いのするコルドバ、セビジア、アルハンブラから
通常であれば、そこからアフリカへ入りモロッコへカーブランカあたりから
アルジェリア、チェニジア、シシリーからイタリア、ブリンデッシまでいくのが定番であったが

陸周りでブリンデッシからギリシャそしてトルコイスタンブールへいった

欧州の城や森より、カオスのアジアはその時は新鮮に思えた。

海外へいくとき、自分のことをしゃべるたびに、日本の事が
自分で目新しくおもえて、新鮮に思うのが、常であり
建築家として、京都などの昔の建築のよさや日本的な
美に目がうつるのは、自然であるのかもしれない

目ができてくると、生活している郷土の暮らしが
わかってくる。山と川どちらが先にできたかと訪ねる人がいれば
山がなければ、雨が降らず川はできない・だから大地が気候で
大事だとわかる。山の木の葉が栄養になり、川に流れて、海の魚の
循環のみなもとになる。漁師が海の魚を取る為に山に木が植える

建築家も素敵な家を木でつくらなけらば、山の循環ができない
建築家の意義も郷土の仕事でここにあることがわかるようになる

さらにイベリコ豚など、どんぐりを食わせて
ハムで食う、スペインのハムがあるが、どんぐりしか
できない山で、農作物はなく、どんぐりは人は食えないので
豚にどんぐりを食わして、人が食う

人はその土地で種を植えて、そこで育った稲や草で
食事をする、牛の酪農もよくよくみれば、牧草の草は食えないので
それを牛に食わせて、ミルクや肉で食べている
酪農には大きな牧草地がセットでなければできない
栄養の循環だとわかる

郷土で暮らすそこで建築家が暮らすには、ひとつにはこの自然の
循環の木の家を建てることが地域に働く理由でもある。
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ハレとケの家

家を計画するとき、普段の生活の部分は話題にするとき
日常的でおもしろい話の展開がないので

どうしても、広告宣伝は「晴れの部分」のいいところだけを
説明する

お正月が毎日くるわけではなく
大事なイベントは日常の生活の一部であることを
認識すれば、普段の生活をどうするかという事になる

ただ、日常のことこそ
個人の生活の部分なので、自身で説明するのには
以外と大変なことがわかる

建て主に会った後、建て主の日常を理解するには
家庭訪問をして、持ち物を見せてもらうことで
普段の生活を理解することにしている

家を建てるとき、すべてをビルトインにしてください
という話もよくあるが
今ある服を捨てるはずもなく、その量をみたり
どこに収納しているのかを見るだけでも、人柄や
生活がわかることがもある

外部のものだから
の立場で

普段を生活を敷地の特性を理解して、普段の生活を展開する間取りや
インテリアさらには、防犯など・・

今年も新しい家がたっていく。2月の節分が終わるとまた新しい家の
現場が始まる。

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